立命館大学国際平和ミュージアム Kyoto Museum for World Peace, Ritsumeikan University

訓示 MUSEUM ARTIFACTS

訓示

1940(昭和15)年424

作成者は石原莞爾。㊙の文字が表紙に印字されている。8ページに渡る冊子体であり、満州北部に進駐する将兵たちの取るべき行動や持つべき心得が記されている。東亜連盟の建設を目指す石原莞爾の思想が顕著に表れている。

 

 


 

 16師団は京都に常駐した師団でしたが、満州北部への派兵に際してこの「訓示」が出されました。 ここでは現地での心得や行動指針が示されています。満州においては合同軍事訓練や軍事学を学ぶこと、また現地に適した生活を創造し、実践することで、現地の人々の模範となるよう心がけることが示されています。そして民族としての道徳も説き、他民族との協和のために言語の習得も目指し、民族の代表として満州へ向かうという心がけが重要だと示されています。第16師団は南方への派兵が決まったため、この訓示の内容が実践されることはありませんでした。

その後軍から退いた石原は当時の立命館大学学長・中川小十郎の要請により、1941年に同学国防学研究所長(こくぼうがくけんきゅうしょちょう)に就任しています。軍事学知識の民間普及の必要性という点で、石原と立命館は意見が合致していたことから、石原は喜んでこの要請を受けたといいます。立命館との関連もあり、満州派兵の心構えとはどのようなものなのかに関心があり、この資料を選択しました。



実習生 松下友之輔

 

 

 

参考資料:石原莞爾略歴

 

※石原莞爾は1931(昭和6)年の満州事変の首謀者として知られます。民族の協和を説くこの資料の内容は、一見人道的に思えますが、実際に占領地の人々が受けた統治が極めて屈辱的なものであったことも事実です。当時の立命館は戦時国策に積極的に同調しており、学徒出陣によって多くの学生の命が失われました。戦後掲げられた教学理念「平和と民主主義」は、その反省の上に立っています。

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