立命館大学国際平和ミュージアム 平和教育研究センター Peace Education and Research Institute, Kyoto Museum for World Peace, Ritsumeikan University

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第11回メディア資料研究会を開催しました

2019.01.23(水)

 

 11回目のメディア資料研究会が12月13日に開かれ、立命館大学の大学院生で文学研究科博士課程後期の山口一樹氏が「漫画と戦争―やなせたかしと水木しげるの戦場体験をめぐって―」と題して報告しました。山口氏は、戦後を代表する2人の漫画家の生い立ちや戦場体験の違いを分析し、その違いが漫画というメディア表現にどう影響を与えたかなどを考察しました。
 山口氏はまず、戦争体験について、「多くの兵士が戦争の侵略性や加害性への認識を次第に深め、ためらいや逡巡、反発や反動を感じるようになっていった。それは、『生きる』という実践を通じた壮大な学習過程でもあったのではないか」と指摘しました。そのうえで、学習成果が表現されたメディアとしての漫画に焦点をあて、漫画が戦争をどう語り、戦場体験が漫画をどう変えたのか、やなせと水木、2人の体験と作品を比較検討しました。
 やなせは1919年生まれで、旧家の出身。父は新聞記者、叔父は医師でした。自由主義的な思潮がまだ残っていた時代に東京高等工芸学校図案科を卒業し、まもなく徴兵されて中国戦線に派遣されます。しかし、激烈な戦場体験はなく、むしろ、優秀だった弟が戦死したことに衝撃を受けます。戦後、三越宣伝部に入って漫画を描き始め、絵本などにも活動の幅を広げていきました。
 水木は1922年生まれ。廻船問屋で財をなした家系ですが祖父の代に廃業。父は早稲田大学を卒業しており、兄も大阪工大に進んでいます。しかし、本人は高等小学校卒業後、職を転々とし、美術学校への入学を目指しているときにラバウルへ出征。玉砕の戦場に身を置いて爆撃で左腕を失います。戦後、紙芝居作家から貸本漫画家へ転進した後、商業誌デビューを果たしました。
 山口氏はやなせについて、「戦場で自分以上の壮絶な体験をした弟などの他者と自分を比較する中で、常にうしろめたさを感じていた」のではないかと仮定。そのうえで、やなせが生み出した「アンパンマン」に言及し、飢えた人に自分の顔の一部を与える「献身と愛」の裏面には自己犠牲があり、それはやなせが抱き続けたうしろめたさにも通底する、と解説しました。水木については、「激しい戦場で身近な死と向き合う内省的営為としての読書経験があり、それが戦後の作品に影響を与えている」ことから、「戦場で横たわる戦死者たちの姿は、今を生きる水木にとって自己と入れ替え可能な存在であるだけに、体験をリアルに描くことで自己の優位性を明かす必要があった」と指摘し、戦後の作品『総員玉砕せよ』がほぼ事実に基づいて描かれていることなどに触れました。
 この報告に対し、田中聡メディア資料セクター長からは「水木はニューギニアで現地の人と仲良くできたが、やなせは中国で分かり合える異文化体験を持てなかった。この違いも興味深い」との指摘がありました。
 戦争体験の違いが両者の思考方向を変え、戦後の創作内容の違いにつながっていく経緯に加え、やなせたかしのあまり知られていない側面も浮かび上がる報告でした。

 

第11回メディア資料研究会
「漫画と戦争―やなせたかしと水木しげるの戦場体験をめぐって―」
日時:2018年12月13日(木)17:00~19:00
場所:立命館大学国際平和ミュージアム 2F会議室
報告:山口一樹(立命館大学大学院文学研究科博士課程後期)
参加者:11名

 

▲山口一樹氏

▲資料閲覧の様子

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