立命館大学国際平和ミュージアム 平和教育研究センター Peace Education and Research Institute, Kyoto Museum for World Peace, Ritsumeikan University

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平和教育研究センター企画 「平和博物館における戦争体験継承」プロジェクト 映画上映会を開催しました

2019.12.10(火)

▲講演全体写真

 

 映画監督の岡村淳氏は、長年に渡り日系ブラジル人の姿を追ってきました。今回は岡村監督をお招きして、1960年代に日本からブラジルに移住した家族の姿を追った『移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編』と、ブラジルを代表する現代アート作家となった日系移民の姿を追った『京 サンパウロ/移民画家トミエ・オオタケ 八十路の華』の2本を上映しました。

 『移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編』は、1962年に移民船第12次あるぜんちな丸に乗った小島忠雄さんと妻の智子さんへのインタビューを中心に、智子さんの両親や、ブラジルで生まれ、日本に渡った小島家の子どもたちの姿を追った作品です。1941年に静岡県で生まれた小島さんは、外国で働くことを夢見て、ベトナムでメコン川のダム建設に従事しますが、ベトナム情勢の悪化で断念します。ブラジルへ渡航後、南米産業開発青年隊として建設省のパラナ訓練所で道路や堤防など入植地の造成の訓練を受けたあと、グアタパラの造成に従事します。妻の智子さんもあるぜんちな丸の同船者で、日本への出稼ぎを経て、現在はグアタパラで姫マツタケの栽培を行っています。移住が各世代に及ぼした影響や、日本とブラジルを行き来しながらそれぞれが置かれた状況の中で離れて生きる姿、家族への思いが浮かび上がります。

 グアタパラ移住地は、満州開拓に関わった官僚が戦後もう一度開拓を行った場所でもあり、参加者からは「満州開拓移民とブラジルでの移民による産業開発の関係や歴史的なつながりについて考えさせられました」との感想も寄せられました。

 『京 サンパウロ/移民画家トミエ・オオタケ 八十路の華』は、監督が3か月に渡りブラジル現代アートを代表するアーティストであるトミエ・オオタケを撮影した作品です。80代となっても精力的に制作や展示を行い、ブラジル美術界に存在感を示すトミエさんは、戦前の京都に生まれ、兄を頼ってブラジルに渡りました。しかし、日中戦争で両国の関係は悪化し、ブラジルに残ることとなりました。ブラジル美術界では日本美術のエッセンスを踏まえて解釈されるオオタケ作品ですが、作家自身は、20余年を過ごした京都よりも、60年以上を過ごしたブラジルの風土や生活が、自らの制作に色濃い影響を与えたと力強く語ります。

 上映後は、会場からの質疑も交え、番匠健一氏と監督のトークが展開されました。戦中のブラジルでの日系人の処遇や、北海道開拓移民との類似性、移民社会の中での精神的支柱としての宗教の役割など、短い時間ではありましたが、議論は多岐に及びました。

 

映画上映会

日時:2019年12月4日(水)16:30~19:40

話者:岡村淳(映画監督)

   番匠健一(平和教育研究センターリサーチャー)

参加者:30名

▲岡村 淳 氏(話者) ▲番匠 健一 氏(聞き手)

 

 

『移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編』

製作・構成・撮影・編集・報告:岡村 淳 2003年製作/73分

1962年に南米に向かった移民船あるぜんちな丸第12次航の乗船者のその後を訪ねるシリーズ第二弾。 ブラジル・サンパウロ州の内陸にあるグアタパラ移住地に暮らす小島忠雄さん一家の歩みと今を紹介する。小島さんは日本で健康食品としてブームを呼んでいる姫マツタケ(アガリクス)を栽培している。小島さんは日本への出稼ぎブームが始まった時、パイオニアとして祖国にUターンした経験を持っている。同じ移民船で移住した妻の智子さんと両親、そして日本で暮らす小島さんの子供と孫を訪ね、国境を超えてしまった家族の絆を見つめていく。

 

『京 サンパウロ/移民画家トミエ・オオタケ 八十路の華』

製作・構成・撮影・編集・語り:岡村淳、2013年製作、撮影年2000年-2001年/51分

20世紀最後の年。岡村は当時、87歳になるブラジルの大御所アーティスト、トミエ・オオタケの撮影を引き受けた。京都出身のトミエさんは1930年代にブラジルに渡って結婚、二児をもうけてから絵画を始めた。以降、ブラジルの抽象画家のトップに登りつめて、なおも新たな試みにチャレンジしていた。サンパウロでのトミエさんの活動に寄り添った岡村は、トミエさんの心象風景を求めて秋の京都の映像行脚に出る。

 

▲岡村氏と番匠氏によるトーク

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