立命館大学国際平和ミュージアム館長
君島 東彦(きみじま あきひこ 立命館大学国際関係学部教授)
1958年生まれ。早稲田大学法学部・法学研究科、シカゴ大学ロースクール、ワシントンDCのアメリカン大学大学院国際関係研究科で学ぶ。札幌の北海学園大学法学部教授等を経て、2004年から現職。2016-2017年に日本平和学会会長、2016-2019年に国際関係学部長をつとめた。
専門は憲法学、平和学。憲法平和原理を平和学の視点、NGOの視点、東アジアの文脈でとらえて活かすことを課題とする。2007年から毎年ノーベル平和賞の候補者を推薦している。
共著として、『高等学校 公共』(教育図書、2022年)、『平和をめぐる14の論点――平和研究が問い続けること』(法律文化社、2018年)、『戦争と平和を問いなおす――平和学のフロンティア』(法律文化社、2014年)等。2023年4月に国際平和ミュージアムの館長に就任した者として、わたしなりの抱負を書かせていただきます。周知のように、当ミュージアムは、京都市民による平和のための戦争展の運動の成果と、本郷新のわだつみ像が象徴する立命館大学の戦争協力への痛切な反省という2つの要素が合流して1992年に開館したもので、それ以来、加藤周一氏、安斎育郎氏、高杉巴彦氏、モンテ・カセム氏ら歴代館長のリーダーシップにより今日まで充実した活動を続けてきました。吾郷眞一前館長のもとで始まった第2期リニューアルプロジェクトが進行中であり、現在その最終段階にあります。この時期に館長を引き継いだものとして、まずは9月23日のリニューアルオープンをめざして、リニューアルプロジェクトを完成させることに全力を尽くしたいと考えております。
いまリニューアルの最終段階で、新しい展示の全体像を少しずつ知りつつありますが、現時点でわたしが感じることは、我々はこの平和ミュージアムを東アジアの平和創造の拠点として生かしていくべきではないか、ということです。
当ミュージアムは1992年の開館以来、アジア太平洋戦争の加害と被害、この戦争に抵抗した人々の声、この戦争にともなう責任等についての展示を中心としてきました。これらの要素はリニューアル後の展示においても、拡大・深化していると思います。東アジアの平和を破壊した日本帝国主義を直視し、戦後におけるその克服の努力を見つめ、また、直ちに冷戦・熱戦によって分断された東アジアの状況を伝える展示が続きます。さらに、平和創造の重要なアクターである国際機構や市民社会(NGO)の活動を紹介し、平和創造の出発点となる理念について説明を加えています。
リニューアル以前から東アジアの人々との関係は、当ミュージアムの核心部分でありました。わたし自身が記憶しているかぎりでも、中国の外交官の王毅氏、日本の政治家、河野洋平氏らの来館は重要な出来事であったと思います。日本帝国主義の克服に誠実に取り組む姿勢は、当ミュージアムの良心であるといえます。また、平和創造の方法として、国際機構と市民社会の役割を強調する点は、平和学の考察に立脚しています。
当ミュージアムは京都、関西圏はもちろん、日本各地から来館者を迎えています。これまでも東アジア諸国からの来館者はいましたが、リニューアル後、さらに東アジアを中心として世界各地からの来館者を迎えたいと思います。歴史に誠実に向き合う当ミュージアムの姿勢は、とりわけ東アジアからの来館者に対する重要なメッセージの発信であるといえます。わたしは、当ミュージアムの展示・活動を東アジアの対立・緊張を克服していくための触媒――「修復外交」の手段――として活用できないだろうか、と考えます。日本を含む東アジア諸地域の学生たちがこのミュージアムに集って、歴史和解・戦争予防のためのワークショップを開く。あるいは、立命館大学および他大学で学ぶ東アジアの留学生がミュージアムでスタッフあるいはインターンとして働く等々。
いま東アジアはある意味では危機の状況にあります。東アジアの平和は越境的な市民社会が下からつくっていくものであるとわたしは考えています。当ミュージアムも東アジア市民社会の一員として、東アジアの危機を克服するための役割を果たしたい。新館長としてわたしはそう切望しています。(2023年4月)
立命館大学国際平和館ミュージアム名誉館長 安斎 育郎(立命館大学名誉教授)
1940年、東京生まれ。9人きょうだいの末子。4歳~9歳、福島県二本松で疎開生活。東大工学部原子力工学科卒、工学博士。1969年、東大医学部助手となり、86年、立命館大学経済学部教授、88年、国際関係学部教授。現在、名誉教授。95年より国際平和ミュージアム館長、08年4月より名誉館長。平和のための博物館国際ネットワーク・諮問理事。南京国際平和研究所・名誉所長。ベトナム政府より「文化情報事業功労者記章」受章。「第22回久保医療文化賞」、韓国のノグンリ国際平和財団「第4回人権賞」受賞。
著書に、『語り伝えるヒロシマ・ナガサキ』(全5巻、新日本出版社、第7回学校図書館出版賞受賞)、『語り伝える沖縄』(全5巻、新日本出版社、第9回学校図書館出版賞受賞)、『語り伝える空襲』(全5巻、新日本出版社、第11回学校図書館出版賞受賞)、『だます心 だまされる心』(岩波書店)、『安斎育郎先生の「原発・放射能教室」(全3巻、新日本出版社)、『「原発ゼロ」プログラム─技術の現状と私たちの挑戦』(共編著、かもがわ出版)、『原発事故の理科・社会』(新日本出版社)、など多数。NHK人間講座、あさイチ、クローズアップ現代、日本テレビの「世界一受けたい授業」などにも登場。趣味はマジック、俳句、お絵かき。
この文章を書いている時点で、私は76歳、国際平和ミュージアムは25歳です。私の方が約3倍年上の「後期高齢者」ですが、ミュージアムの方は日本ならやっと衆議院議員や市町村長や地方議会議員になれる資格を得る年齢です。若いが、責任ある役割を社会から委ねられる、青年としての頼もしい門出に位置していると言ってもいいでしょう。
25年前、立命館大学国際平和ミュージアムは、世界で最初にして唯一の「大学立の総合的な平和博物館」としてスタートしました。1941年~1945年の太平洋戦争の時代、立命館大学は約3000人の学生を戦場に送り、およそ1000人が命を失う悲しい体験をし、その反省の上に「平和と民主主義」という教学理念を確立しました。「わだつみの像」は「ペンを銃に持ち替えない」という決意の象徴ですが、国際平和ミュージアムは平和的教学理念をさらに現代に展開するための礎であり、この度「平和教育研究センター」も発足することになり、まさに門出に相応しい年になりそうです。
25年前の平和ミュージアムの発足行事では、かなり思い切ったシンポジウムが開かれました。シンポジストとして、日本平和学会会長の岡本三夫さん(当時)に加えて、真珠湾攻撃の象徴であるハワイのアリゾナ記念館の副館長と、日本による植民地支配の象徴である韓国独立記念館の独立運動史研究所長をお招きしたのです。これは、国際平和ミュージアムの「過去と誠実に向き合う」という姿勢の表れともいうべきもので、過去の事実を見据えた上で、和解の可能性や平和創造への連携の可能性を追い求める姿勢は、今後とも変わらずに持ち続けていきたいと思います。
ところで、今年は、国際平和ミュージアムも加盟する「平和のための博物館国際ネットワーク(International Network of Museums for Peace, INMP)」の創設25周年でもあります。4月には北アイルランド(イギリス)のベルファストで第9回国際平和博物館会議が開かれ、25周年を祝いました。私はその諮問委員としてニューズレター25周年記念特別号を編集しましたが、メッセージを寄せたヨハン・ガルトゥングさん(ノーベル平和賞候補にもノミネートされた現代平和学の泰斗)は、「もう25周年、おめでとう。時は流れ、戦闘しあっている国もあるが、総じて世界は平和に向かっている。そして、立命館大学国際平和ミュージアムは、大きな平和の灯台として際立っている」と述べました。過分な評価ですが、期待に応えるように努力を続けたいと思います。ガルトゥング先生は「総じて世界は平和に向っている」と評されていますが、シリアの内戦やヨーロッパの難民問題や北朝鮮の核武装など、日々のニュースには不穏な雰囲気が漂っています。私たちは関心を持続し、事実をしっかりと学び、主権者として声を上げる姿勢を忘れてはならないでしょう。国際平和ミュージアムが、平和について「みて、かんじて、かんがえて、その一歩をふみだす」場として役立つことを期待します。