国際平和ミュージアムの休暇中の取り組みとして教育・普及ツールの提供を行っています。DVDにてご希望の団体等に貸出しています。
ご希望の場合は、お電話にて1週間前までにお問合せください。
先ずはお電話(075-465-8151)で予約状況を確認後、下記申請書をダウンロードしてFAX(075-465-7899)してください。
※「資料貸出条件」、「貸出手続きについて」もご参照ください。
テーマと講師は以下のとおりです。
当館館長、名誉館長による各30分程度のデジタル教材です。
①核兵器禁止条約 (講師:安斎育郎 当館名誉館長)
②原発と環境 (講師:安斎育郎 当館名誉館長)
③基地問題と沖縄 (講師:安斎育郎 当館名誉館長)
④科学的な見方・考え方 (講師:安斎育郎 当館名誉館長)
⑤国連と平和 (講師:吾郷眞一 当館前館長)
⑥人権と平和 (講師:吾郷眞一 当館前館長)
当館「平和友の会」のみなさんによるデジタル教材です。
NO | タイトル | 講話者 | 時間 | 作品紹介 |
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1 | 国家総動員の中での体験 ―小学4年生~6年生― |
馬場 央 | 25分16秒 | ⾺場さんが国⺠学校(現・⼩学校)4〜6年⽣の間、アジ ア太平洋戦争が開戦しました。 徐々に敗戦の⾊濃くなる中、⽇常⽣活や国⺠学校の学校⽣活で実感された戦中の体験談です。 |
2 | 国家総動員の中での体験 ―女学校時代― |
馬場 央 | 23分48秒 | 戦前、⾺場さんが⼥学校に⼊学されて以降、学童集団疎開や勤労動員令などにより、⽇常⽣活が戦時⼀⾊に染まっていきました。 1945年8⽉15⽇の敗戦に⾄るまで、⼥学校時代の実体験談です。 |
3 | ニューギニアからの生還 出征兵士「橋村清治」さんのお話 |
馬場 央 | 13分56秒 | 1941年にアジア太平洋戦争が開戦し、翌年に⾺場さんの地元の若者、橋村清治さんは17歳で志願兵となりました。 そして、激戦地の⼀つ、ニューギニア戦線に送られましたが、戦況悪化による撤退命令と共に40⽇間の⽣死をかけた逃避⾏が始まりました。 過酷な戦争体験のお話です。 |
4 | 沖縄研修旅行の事前学習のために | 伊藤 昭 | 18分36秒 | 沖縄には、⾸⾥城や平和の礎(いしじ)のある平和祈念資料館をはじめとする代表的な施設があります。 沖縄戦の悲惨な集団⾃決や沖縄学徒の犠牲者のことなど、研修旅⾏の事前学習のためのお話です。 |
5 | 学校は兵営のようになった ―戦時下の立命館第一中学校の軍事教練― |
村尾 孝 | 30分43秒 | 戦前の⽇本は近代化を推し進めるとともに、富国強兵の⽅針の下、国⺠に軍国教育を施しました。当時の⽴命館附属校も例外ではなく、軍事教練が実施されました。 村尾さんの実体験に基づく戦中教育についてのお話です。 |
6 | 兄弟四人の戦争 | 村尾 孝 | 33分56秒 | 村尾さんのご兄弟は、アジア太平洋戦争に出征されました。兵⼠としての過酷な体験や、悲惨な戦争の記憶⾵化への警鐘、そして不戦・平和を強く訴えるお話です。 |
7 | 敗戦時の東京農業大学満州報国農場 ー2度国に棄てられた農学徒たちの記録ー |
村尾 孝 | 28分26秒 | 1945年終戦直前の8⽉9⽇、突如、満州にソビエト軍が侵攻。村尾さんたちは1ゕ⽉に及ぶ500㎞もの逃避⾏後、ようやくたどり着いたハルビンで農⼤⽣はバラバラに。 1度⽬は戦場で取り残され、2度⽬は満州からの帰国を望まれず、「国に棄てられた」体験談です。 |
8 | ぞうさんたちの死 戦争と岡崎動物園 |
布川 庸子 | 14分55秒 | ⼿描きの紙芝居でのお話です。戦争が⻑引くにつれ、⽇本軍から京都・岡崎動物園にも動物を直ちに殺すよう命令が下ります。 他の動物たちが 犠牲になる中、象の「ハナエ」はどうなるのか?戦争の悲劇と平和の⼤切さを感じられるお話です。 |
9 | 戦争中の子ども | 布川 庸子 | 26分29秒 | 布川さんはアジア太平洋戦争の最中、国⺠学校(現・⼩学校)に⼊学しました。⽣活は⽇に⽇に厳しさを増し、配給制になり、また空襲による防空警報が鳴る⽇々でした。 そして敗戦の⽇が訪れました。 平和の⼤切さを訴えるお話です。 |
10 | 父の戦争体験 | 松田 愛子 | 28分10秒 | 松⽥愛⼦さんのお⽗様は、戦場で⼤きな戦傷を負い、義眼義肢を下賜されました。 そのお⽗様の戦争体験、また松⽥さんの⾝近におられた戦争遺児のお話などを通じた平和へのメッセージです。 |
11 |
青い目の人形 |
中野 恭子 |
30分46秒 |
1927年、⽇⽶友好の象徴としてアメリカから⽇本の学校に贈られた1万体余りの「⻘い⽬の⼈形」。 戦争が激化する中、⼈形達はひどい扱いを受けました が、⼼ある⼈が隠し通した⼈形もありました。 当時の写真や⼿作りの紙芝居で、⼈形を通じて平和の⼤切さを説くお話です。 |
12 | 二度の死線を越えて ー母の大阪空襲・広島原爆体験― |
鳥羽 洋子 | 28分55秒 | ⿃⽻さんのご家族は、アジア太平洋戦争末期の1945年3⽉14⽇の⼤阪空襲により⾃宅を破壊され、広島へと避難。 しかし、その広島では同年8⽉6⽇に原爆投下に遭いました。 そうした命懸けの実体験談を豊富な映像とともにお話しています。 |
13 | 五八年後の原爆 ー若者たちに平和へのバトンを託すー |
花垣 ルミ |
31分47秒 | 花垣さんは5歳の時、広島で被爆。その体験談を元に、佛教⼤学の学⽣が紙芝居を制作され、前半はそのお話です。 後半は、原爆投下直後の避難体験についての花垣さんへのインタビューです。 |
14 | 戦地から帰ってきた中野信夫(医者)のお話 ーインパール作戦ビルマ敗走記- |
中野 圭子 (本の朗読・聞き手) 小野房子 |
28分10秒 | 中野信夫さんは召集令状によって軍医としてビルマ(現・ミャンマー)のインパール作戦に従軍し、その実体験の本の朗読から始まります。 ⽣還者が2割しかいなかった無謀な作戦でした。 後半は、ご息⼥の圭⼦さんより、中野さんが⽣還後、平和に懸けた想いについてお話しています。 |
15 | 子どもたちを戦場に送りだすための教育 ―2度と「墨塗り」教科書の悲劇をくりかえさないために― |
足立 恭子 | 21分38秒 | 戦前、⼦どもたちを戦争に送り出すための教育が⾏われました。 戦後、「⿊塗り」教科書となった「初等科國語六」(1943年⽂部省)と現在の教科書を⽐較することで、⼆度と間違った教育をしない、戦争をしてはならない、という警鐘と平和の大切さを考えるお話です。 |
16 | 核兵器のない世界と未来をめざしましょう! | 足立 恭子 | 16分33秒 | 1945年8⽉に広島と⻑崎に原爆が投下され、1954年にはビキニ環礁での⽔爆実験により第五福⻯丸事件が起きました。これらの出来事は、その後、全世界での核兵器反対運動の広がりにつながりました。 平和について、原⽔爆についてどのように考え、⽣きるかを考えるお話です。 |
※No.16は、2023年9月リニューアル開館後、館内利用限定でご利用いただけます。