(1) 1943年3月の徴兵検査(撮影/梅本忠男)
(2) 海軍水兵採用徴募証書
・裏面に心得が印刷されている。海軍志願兵の採用証明書。
(3) 現役兵証書
・中部第41部隊(京都市伏見区桃山町)に入営を命じる証書。「右現役兵ニ徴集シ左ノ通入営ヲ命ス」とあり、3項に分けて所属を書いている。
(4) 第一中隊第三区隊の1943年の軍事の教練手簿
・行われた教練の科目、主要演練事項、詳細な内容が書かれた日誌。
(5) 在郷軍人の栞
・陸軍簡閲点呼必携 書き込み等はない。裏表紙には「帝国在郷軍人会会歌」が書かれている。表紙右上に在郷軍人会の紋章有り。
(6) 戦陣訓掛軸(平和のための京都の戦争展寄託)
(7) 従軍手帳
・「従軍手帖は国民の熱誠なる恤兵寄付金を以て調製し従軍者一同に頒布するものなり 昭和十四年四月陸軍恤兵部」
日本には「徴兵制度」がありました。男子は満20歳になると徴兵検査を受け、兵士になる義務がありました。そのようにして入った軍隊の最高指揮権は天皇にあり、上官、つまり自分より位が上の兵士の命令は天皇の命令であるとされ、絶対に逆らうことは許されませんでした。最初の頃は、一家の主人やある程度のお金を払った人は兵役につかなくてもよいといった例外規定がありましたが、1889年からはすべての男子が兵役につかなければならなくなりました。小学校を卒業して上の学校に行くと、もう兵士になるための訓練が待っていました。プロの軍人を育てるための学校もありました。徴兵検査に合格して軍隊に行くと、集団生活による厳しい訓練があり、特に初年兵、つまり1年目の兵隊はシゴキの対象になりました。2年間の勤めを終えると満期除隊となって故郷に帰り、在郷軍人になりましたが、戦争がはじまると招集されました。