立命館大学国際平和ミュージアム Kyoto Museum for World Peace, Ritsumeikan University

通行証・投降票 MUSEUM ARTIFACTS



 

通行証・投降票

通行証:1938(昭和13)年~1945(昭和20)年
投降票:1927(昭和2)年~1928(昭和3)年か


敵側の戦意喪失を目的として配布する印刷物を伝単(でんたん)といい、第二次世界大戦中には各国で印刷され、飛行機で上空から大量に配布された。相手に降伏を勧告するためのビラも伝単の形式の一つ。鹿地亘は中国にて、当時捕虜となっていた日本軍兵士に対して反戦教育を行い、抗日反戦活動を行った。



 右のビラでは、描かれた中国旗が五色旗であることから、居留民(きょりゅうみん)保護を名目とした山東出兵時の日本軍が、北伐の国民革命軍を敵とみなし投降を勧告しています。左のビラでは日中戦争時、投降して捕虜となることを軍規上許されず、一身の恥として死戦した日本兵に対して、中国軍が通行証と表記して戦線離脱を促しています。これは当時日本から中国に逃れ、日本兵捕虜による反戦運動を組織した鹿地亘(かじわたる)氏や野坂参三氏の資料などで裏付けされています。

 一五年戦争で日本は数多くの戦争法規の無視や不法行為を行いました。この資料は、日本の戦争のために現地の人的、物的資源を収奪した苛酷な軍事的支配の実相、兵士に死戦を強いた日本の軍事国家、組織の構造と戦場での悲惨な被害と加害の事実、、国際軍事裁判で、戦争の指導者のみならず多くの兵士が処刑され、今なお未決の戦争責任を残していることなど、一五年戦争中の日本軍の行為と、現代まで続く問題について、広く深く理解するための扉を開くものです。


平和友の会 村尾孝

 

参考資料:通行証
立命館大学国際平和ミュージアム蔵
絵柄は異なるが、文章は全て同一のものが書かれている。

 

pagetop