立命館大学国際平和ミュージアム Kyoto Museum for World Peace, Ritsumeikan University

第137回ミニ企画展示 137TH MINI-EXHIBITION

「学徒出陣 林尹夫をさがして―1943-2021」番外編

   「 勤 労 動 員 学 徒 」   
(2020年度後期博物館実習展示)

 

 当館では教育普及活動の一環として博物館実習生を受け入れています。このたび2021年1月12日から6日間にわたって、今年度2回目となる博物館実習を行いました。
 実習では、展示業務の流れを把握したのちに、具体的な実務を経験してもらうため、期間の後半を実習生による展示制作に充てています。今回は、第137回ミニ企画展示「学徒出陣 林尹夫をさがして―1945-2021」に沿ったテーマを設定し、実習生には、ミニ企画展の1コーナーの企画から設営までの作業を行ってもらいました。
 テーマは「勤労動員学徒」です。15年戦争×学生といえば、「学徒出陣」を思い浮かべることが多いのではないでしょうか?当時の日本は、学生を徴兵する以前から、学生・生徒に対し、実にさまざまなかたちで戦争に協力させる仕組みを作り上げていました。その一つが「勤労動員」です。その中で亡くなった若者が大勢おり、この時代の立命館も例外ではありませんでした。
 ミニ企画本編とあわせて、実習生の資料紹介を是非ご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 


雑誌『週報』第382号
昭和19年(1944)2月16日


 内閣情報局により編集・刊行された雑誌『週報』は、国民に対し政策の正当性を説明し、それに従うよう強調するものであった。当資料には昭和19年時点での戦況やそれに伴う閣議決定、配給の予定など5つの記事が掲載されている。

 

 


手紙(封筒なし)
20世紀前半


 東京の工場で勤労中の姉の那々子(ななこ)が、布佐(ふさ)(現千葉県我孫子市)に疎開している妹の瓔子(ようこ)に宛てた手紙。母が布佐に疎開し家庭が淋しくなったことや、勉学に励むよう伝えている。また、布佐に行く時はお土産を持参するとも書いてあり、姉の妹への想いがつづられている。


 

ズック(上履き)
1945年頃


 広島市立中学校(当時)1年生古田文人君の遺品。広島市小網(こあみ)町で建物疎開作業を行っていたが、86日の原子爆弾投下により他の学徒312名と共に亡くなった。このズックは被爆のためか全体的に硬くなっており平らに潰れている。

 


動員日誌
1945(昭和20)年5月30日~8月30日


 愛知県の豊川海軍工廠(こうしょう)へ動員されていた立命館大学勤労報国隊(きんろうほうこくたい)の日誌。学徒の欠勤理由や寮の様子、帰省者の情報、その日の特記事項などが記されている。

 


腕章:立命館大学勤労報国隊/愛知中学学徒勤労報国隊
1942年(昭和17)~1945年(昭和20)頃


 立命館大学と愛知中学の生徒が使用した腕章。学徒動員時には腕章をつけることを義務付けられていた。腕章の表面には、使用者の所属先と動員先の工場名を見ることが出来る。


 

 

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